平成18年(行サ)第135号
上告人 松本健二
被上告人 日本弁護士連合会
平成18年12月26日
上告人 松 本 健 二
最高裁判所 御中
上 告 理 由 書
第1
1、 原審判決の第3 判断 2 争点(2)(本件懲戒処分の当否)について
という原判決の理由について以下のごとく逐条的に批判反論し、その誤りを指摘する。余りにも原審判決はお粗末で驚き呆れる次第である。
2、(1)の証拠(甲2の1、2, 5、乙1、2、3の1ないし3、4、6、7、9、32ないし35、38、44、50ないし56)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。という箇所である。
3、
(1)先ず、最初に証拠の標目である。判決理由の最初から間違っている。けだし証拠価値の判断に大いなる誤りがあるからである。
(2)すなわち、この大前提が根本的誤りとなって、①次の事実が認められる。と本件の事実認定となったのであり、②判決8頁の5行目「(1)で認定した事実によれば」と誤った事実認定を、お粗末にも完成させている。③同8頁の(3)において上告人(原告)の主張を否定するに当たり、「しかしながら・・・山本らの純粋な経済活動とは到底理解できず、また、前掲各証拠に照らすと・・・」と重大な誤りに誤りを重ねるに至っているのである。
(3)してみると原判決は大前提に誤りがあって、その後の論旨展開の上記①②③の誤りとなっているのであるが、これでは原判決の分量的に小さな論文の全てが誤りで正しい記述を見つけることが出来ない。全くもって驚くべき判決である。
4、
(1)さて、それでは3の(1)の証拠の標目に入ろう。
最初にその証拠の標目を以下に示す。
①甲2の1 懲戒書(東京弁護士会作成)
②甲2の2 議決書(東京弁護士会懲戒委員会作成)
③甲2の5 裁決書(日本弁護士連合会作成)
④乙1 依頼書
⑤乙2 委任状
⑥乙3の1 名刺(上告人の名刺)
⑦乙3の2 名刺(竹内利廣の名刺)
⑧乙3の3 名刺(山本良治の名刺)
⑨乙4 名刺(山口の名刺)
⑩乙6 松本弁護士の答弁書に対する懲戒理由と題する書面
(懲戒請求者長谷川作成)
⑪乙7 平成15年1月17日着信致しました松本健二弁護士提出乙第二号証に就いて(懲戒請求者長谷川作成)
⑫乙9 「ケーヨー興産」12年4月28日(第二回受領及支払分)で始まる文書(作成者不明)
⑬乙32 男性同士の会話(作成者株式会社大和情報センター)
⑭乙33 男性同士の会話(30分テープ)(作成者 株式会社大和情報センター)
⑮乙34 土地売買契約書及び重要事項説明書(作成者売主部小畑建設株式会社、買主部分は有限会社三誠信託、仲介人部分は有限会社ユタカハウジング)
⑯乙35 不動産売買契約書及び覚書(作成者各記名押印のとおり)
⑰乙38 陳述書(作成者長谷川哲朗)
⑱乙44 松本健二弁護士答弁書について(作成者懲戒請求者)
⑲乙50 供述調書(作成者東京弁護士会綱紀委員会)
⑳乙51 審査期日調書(作成者東京弁護士会懲戒委員会)
○21乙52 懲戒請求書(作成者、有限会社三誠信託)
○22乙53 答弁書(作成者上告人)
○23乙54 議決書(作成者東京弁護士会綱紀委員会)
○24乙55 弁明書(作成者上告人)
○25乙56 審査請求書(作成者上告人)
(2)こうして、あらためて原審判決の事実認定の証拠(前掲各証拠に照らすと上告人が山本らを紹介した後に本件に全く関与していなかったとも認められない・・・)を見ると呆れてものが言えない。
各証拠の判断については、平成18年7月27日付準備書面(3)で甲第2号証、乙第54号証を中心として論述した。
また平成18年8月18日 付準備書面(4)では、第1、被告(被上告人)提出の証拠について吟味するとして、
1、被告の証拠説明書によれば、
①、乙第6号証、乙第7号証、乙第38号証、乙第44号証、乙第45号証の各長谷川哲朗の作成文書
②、乙第49号証の調査期日調書
③、乙第31号証、乙第32号証、乙第33号証の各テープの反訳書である。と、指摘し明確にしている。
(3)このような証拠価値のないと明確に指摘しているものを、どうして重要な証拠として採用したのか理解に苦しむ。一体全体、原審判決の房村精一裁判長ら3名の判事は、何を見ているのかと言わなければならない。これらの上告人の証拠批判の主張に対し、被告(被上告人)は全く反論をせず、反論が出来ず、房村裁判長は「反論はありませんね」と発声し確認のうえ、期日の指定をした。
こうであるからこそ、原告の勝訴は原告本人も傍聴人も確信をさらに強めたのであるが、とんでもない原審判決の内容となったのは、一体全体どういうことであるのか。
それでは、上告人(原告)の主張が価値のない無意味な根拠のない無視してよい主張ということなのであるか。そうでなければ筋が通らないではないか。
(4)もとより、本件訴訟は極めて簡単明瞭である。すなわち東弁、日弁連が上告人を業務停止2年の懲戒処分にした。それに対し、上告人が訴状において、この処分は誤りであるから取り消せと訴えた。これに対して、日弁連は、これこれの根拠があるから、証拠があるから、正しい決定であると言えばいいだけである。
ところが、そうしないで、訴えの法律上の利益がないと主張して、東京高裁昭和37年6月28日判決を援用して、訴え却下の門前払い判決を求めた。これに対して上告人は本件の東弁、日弁連の議決は誤りを超えて全くの作文である。
すなわち、根拠、証拠がないのだ。「あるなら示せ」と主張した。
その際、議決書に証拠の標目が付いており、上告人もそれらの証拠を吟味済みの為(上告人はましな証拠がないから東弁、日弁連の議決は誤りだと判断していたが、勿論、誰でも通常の判断力があれば、東弁、日弁連の議決の誤りを知ることが容易な事案である。)ただ唯一、乙51号証を上告人は見ていないので、これが提出を求めたのが平成18年6月26日付準備書面(2)である。
それなのに、日弁連は法律上の利益なしとの却下判決を求め続けたが、原判決摘示の最高裁の判決(昭和56年(行ツ)第171号)を知っていたはずである。なぜなら、組織体としての日弁連或いは東弁においては、担当委員会には関係判例ぐらいは備えられているはずであるからである。
だとすると、房村裁判長らの立場に立てば、日弁連は原告に「根拠を示せ」と「証拠を出せ」と再三攻められても、却下判決を求める態度に固執し続ける姿勢を見て、ふと疑問に思うはずではないか。
すなわち、「これ・これの証拠によって、上告人松本は紹介しただけではなく、弁護士業務をやったのである」と説明すればよいことで、しかも自らが過去に判断したことを釈明するのであるから、簡単で且つはっきりした仕事ではないか。
上告人松本は、日弁連があまりにも逃げ腰の態度に終始したので「デッチアゲ」とまで批難したのについにこれに反論することが出来なかった。
(5)さて、この後にさらに驚くべきことが起こった。すなわち、この問題の原告敗訴の原審判決である。
房村裁判長は「それでは、それ(本案前の答弁のこと)は、後にして実体に入ります。」と述べたうえ、証拠は「あるでしょ、あるんでしょう。出して下さい。」と2回に亘り日弁連に反論を促した。
その結果やっと出てきたものが、被告の平成18年7月21日付第3準備書面である。これに対する反論が準備書面(3)準備書面(4)である。日弁連の主張に対し、その誤りをきっちりと指摘してあるのに、原審判決はこれを無視し考えられない論旨を展開して奇想天外な理屈をこねて原審判決に至ったのである。
ここで、今になって考えると、房村裁判長が「あるんでしょう」と言った意味が、まともなものがあってもなくても「この私が日弁連に替わって、いいものを書いてあげる」とでも言ったとしか、上告人には到底思うことが出来ないのである。そうでなければ辻褄があわないからである。
5、
さて証拠の標目に続いて判決の事実認定に入る。
( 1 ) 6頁、2(1)ア、イ
アとイは、客観的外形的事実であるのでコメントはしない。
(2 )同上2(1)ウ
「・・・必要な協力を怠ったとして・・・」と言う点については、正しい理解は怠ったと言うよりも出来なかったのである。すなわち不能である。
これについては、証拠の中のテープに出てくるが、上告人が「・・・女社長が・・・駄目だ、この人は分ってない・・・」また「・・・・私(松本)はもう紹介(頼む)するのを止めようと思う。・・・だけど、山本・竹内はあなたに(長谷川)同情的で・・・先生、長谷川は何にも分っちゃいないんですよ、素人なんですよ・・・」と言うくだりにこの間の消息が現れている。
(3)同上2(1)エ
「原告は・・・本件売買の不履行による損害賠償責任について相談を受けた。・・・」というくだりである。このような事実認定は誤りであり、かつ、事案の真相を把握出来ていない浅薄な理解力を示すものである。
すなわち、損害賠償の責任について、どう原告は相談を受けたのか理解の不足と上告人が指摘するのは、その実、損害賠償責任という法律問題の処理について相談を受けたのではないということであるからである。
不履行をして賠償責任を追及されそうな事態とはなっているが、不履行を免れ、賠償責任を免れるための法的サービスが考えられるのか。
考えられないのである。ここのところがAとBの違いである。Aに固執するあまり、このAとBの違いを理解出来ない房村精一裁判長ら3名の判事の無能力を証明する訳である。この3名がもし、裁判官を弁護士となったら無能弁護士となるであろう。何故なら、どんな法的サービスが考えられるのか。本件では考えられないし、紹介を求めた北村税理士も賠償責任を免れる法的サービスを求めたのではないからである。必要なのはお金であり、事業遂行する開発業者としての能力である。私は勿論出来ない.が、房村精一ら3名の判事たちが弁護士であったとしても勿論出来ないのである。
賠償責任を免れる為の法的サービスが考えられない、また求められてもいない本件では、何度も上告人が主張、説明しているようにこのような困難な状態に立ち至った為に、これを免れる為のスポンサー、あるいは援助者を必要とし、それを求めて北村税理士が困窮者長谷川を救う人物の紹介を上告人松本に求めてきたのである。かく理解しなければならない。
しかしながら、こういう場面で、房村精一裁判長らは弁護士にでもなった時、お金ではなく、法的サービスを提供して長谷川を助けられるとでも言うのであろうか・・・。
このような次第で、本件は法律問題ではなくてして、つまり、通常の弁護士の法的サービスの提供の範囲を超えているということなのである。・・・ちなみに本件の場合、次のような「いきさつ」があったことを紹介しておく。・・・・
〔北村税理士が上告人松本に「私のお客で長谷川と言うものがいるが、これこれの事情で総額4億数千万円の契約なんだけれども、誰かスポンサーか,誰かを紹介して欲しい,連絡させるから」という電話があった後に長谷川が上告人松本に電話を挨拶の電話を掛けてきて「紹介を受けた長谷川ですが云々・・・」その話の一節に、倍返しの8800万円の訴えを起こされるでしょうかとの発言があったので、上告人松本は「そんなことわかりませんよ。訴えるか訴えないかは公共建物に聞いてみなさい。問題はそんなことじゃないんでしょ。」と怒気を含んで返答した次第であった。
しかし助かりたい一心の長谷川のことを、旧来の友人である北村税理士のスポンサー紹介依頼であるので話を聴いてみようと考えて面談を約束した次第であった。このことは、長谷川が法律相談をしたいということが主眼ではなく、賠償責任を追及されるのではないかとの心配から発言しただけであって、もとより紹介依頼をした北村税理士は「賠償責任となれば長谷川は小さなマンションをどこかに持っているようだが責任を取れず破産ですよ、これで終わりですよ。ははは・・」と上告人松本にコメントしていた事情もあったのである。〕
この事実認定には、紹介依頼者の北村税理士と紹介依頼を受けた上告人松本、紹介を受ける長谷川、そして松本が紹介をした山本ら4名が重要人物なのである。これに反して相談者長谷川、相談を受けた上告人松本と2者の関係と事実認識、認定している原審判決は、この意味において真相を把握していないのである。そうしないと、ことの真相を見誤るのである。
この間の消息を表しているのが長谷川提出の乙第32号証のテープである。(これについては準備書面(4)に述べている。)
さらに一言するならば、紹介を依頼した北村税理士の同席を求め、「万一これがかなわない時には本件紹介をやめる」とまで上告人松本は言っているのである。
つまり、北村税理士が明日(月曜日)午前に同席できない場合(このテープは前日日曜日の深夜のことであるがテープの前の松本・長谷川との会話で、北村税理士の同席は100パーセント無理と発言したことが推認される箇所がある。)には「長谷川さんよ、運が悪いと思って諦めなさい。」と上告人は言っているのである。これを、どうして、日弁連や原審判決は「委任」があったといえるのか。テープを証拠に挙げながら、本当に読んでいるのかと疑う。
原審判決よ、これについてどう応えるのか。原審の認定事実のように長谷川が上告人松本に委任したのであれば、なぜに北村税理士の同席がなければ紹介をやめると言うようなことがあり得るべきか。そうはなるまい。だから登場人物は4者なのである。
非弁活動をやったのであれば、北村税理士に保証人その他の責任を求める必要のない本件においては、北村税理士の同席を本件相談の委任の依頼の目的の達成のためには、北村税理士の出席がなければ本件紹介はお流れである。あるいは「長谷川さんよ、運が悪いと思ってあきらめなさい。」ということになるであろうか。
(4)同上2(1)オ
「・・・長谷川から相談を受けていた本件売買の不履行による損害賠償責任に関する問題の解決を山本らに委ねた。・・・」というくだりである。
表現が一見して誤りではないが不適切である。しかし、よく考えると、損害賠償責任に関する問題の解決を山本らに委ねたという表現はやはり誤りである。なぜなら、原告(上告人)を敗訴させるため、これが、一番の争点なのに簡単に、原告(上告人)が本件問題を解決すべく山本らを使って業務を行った。すなわち非弁活動をなした、と、もって行きたい考えが底流にあるからである。
ただしくは
①に損害賠償責任に関する問題ではなく損害賠償責任が発生しないようにその責任を免れるために「不履行」から「履行」へ転換すると言う問題である。言ってみれば、いかにも強引に上告人を非弁活動に結びつけようとして損害賠償責任という法律問題或いは示談交渉という言葉を使おうとするのではなく、正しくことの本質を理解し、本件を事業再建ビジネス行為と把握するべきである。この違いは大きい。事柄の真相を理解しているかどうかの分かれ目となるからである。
原審判決はこのことを把握し損なっていると同時に巧妙にも(巧妙と言うほどの水準でもないけれども)事柄の真相をビジネス行為から法律的示談折衝行為へと故意に転換しているのである。ここが重大ポイントだ。
②に山本らに「委ねた」と言う部分である。
委ねたと言う表現は理解の不十分或いは巧妙な意図を窺わせるものである。正解は問題を抱えている長谷川を上告人松本が山本らに紹介をしたと言うことである。委ねたと言う字句では上告人松本がうしろで管理して、すなわち長谷川の委任を受けて受任者として山本らを示談折衝に当たらせて、非弁活動を行ったと言う意味を含む広い概念だからである。
このような曖昧な広い概念を使用するという原審判決は真相の把握力の不足、低水準の理解力を表すものか、或いは自ら巧妙な表現力と自惚れている論点のすり替え表現に過ぎない。
問題は、紹介したか、長谷川の問題解決の委任を受け、それに応えて山本らをして自分の受けた仕事を完成させたかである。だから委ねると言うような表現を使うことは間違いなのである。ここまでのところ事実認定は全くもって誤りの連続である(これから続く事実認定も誤りの連続で要するに全てが誤っている驚くべき珍しい判決である)。
このような誤りが起きるのは本件訴訟において顕われた証拠の取捨選択力が劣っているためか、或いは先に原告(上告人)敗訴と決め付け、そちらを選択したうえでの理由の展開か、どちらかの原因によるものである。
すなわち、本上告理由書の1頁の3(1)の証拠の標目の決定的誤りである。
上告人が日弁連に対し非弁活動をしたのか、ただ紹介したのかの争いに対し、準備書面(1)2(5)において、北村税理士の陳述書(問題を抱えた長谷川を助けるべくスポンサーの紹介を松本に依頼したもので、問題の処理を依頼したのではないという趣旨)及び山本良治の陳述書(上告人松本より紹介を頼まれ、長谷川のために紹介を問題解決すなわち開発事業の遂行者として竹内を紹介したもので、松本は紹介をしたあとは何ら関与していないという趣旨)から「浮かびあがる事実を覆すに足る証拠が一体あるのか、あるなら明らかにせよ」と求めている。
このことは、準備書面(1)の段階から、つまり、第7民事部の段階から原告(上告人)が主張してきたことである。これに対する日弁連の回答がなく、ただ審判の対象である議決書の中身を要約しただけで根拠・証拠を明らかに出来なかった。
それに代わって、本原審判決が答えを出したわけだが、「前掲各証拠」として挙げたものは既に無価値なものとして原告(上告人)によって否定されたものである。
事実認定するにあたっての証拠の標目としては、甲第2号証の3および甲第2号証の4の原告に紹介依頼をした北村税理士と原告(上告人)から紹介を受けた事業遂行者側の山本良治の本件において最重要関係者の陳述書を採用しないのは決定的誤りである。もし採用しないのであればその理由を不採用の理由を明らかにしなければならない。このことは裁判のイロハであり、司法修習生でもこのような誤りはしない。全くもって驚き呆れる判決である。
既に上告状に添付した(別紙)において触れられているが、上告人松本の、紹介したあと本件に何ら関与していないとの松本の主張を退けるにあたり、はじめて前述の北村・山本の陳述書を上告人松本の主張に沿う証拠として照会した。
しかし、それっきりで、この重要証拠については無視し続けた。理由はガラクタである「前掲各証拠」いいですか、ガラクタですぞ、「前掲各証拠」に松本の主張、つまり紹介後関与していないという主張を裏付ける証拠がガラクタ「前掲各証拠」にないから、松本の主張は採用出来ないとの誤った判断(悪魔の証明を求めるに等しき間違った判断)と共にこの重要な証拠である2人の「陳述書」を葬り去ったのである
(5)同上2(1)カ
「・・・違約金を1000万円とすることで合意した」というくだりである。これは、上告人は1500万円だったと後で聞いており、また業務遂行にも関与していないし、報告も聞いていないのでわからない。しかしながら、いずれにしてもこのような事実認定の仕方はことの真相を把握していないことなのである。
この問題の本質は、前に長谷川は本件契約の実行において、ある事柄について協力を怠ったのではなく出来なかったのだと述べているが、本件の場合なすべき業務としては、原判決の認定するような違約金を1000万だ,1500万円だと合意することではなく、1000万、1500万円(テープにある当初の投下資本の見込み額は3000万円くらいだったのである。)の資金を投下して、竹内は能力のある開発業者として長谷川(業者として無能だから)に協力して、また山本は開発許可関係の面で支援しながら本件契約の内容を開発行為を実現するという業務だったのである。違約金の合意等ではない。ここにおいて房村裁判長ら3名の無知無能力を露呈したことになるのである。
もし、原審判決のいうとおり、債務不履行を前提として、後始末としての違約金の支払い問題ならば、本件の違約金が1000万や1500万円で、かたがつくわけがない。答えは簡単で、地主には新たな資金はかからない。けだし、すでに支払い済みの手付金が没収されるだけである。そして、第2契約の公共建物らの買人に対しては、手付け倍返しの金8800万円と決っているのである。だから、原審判決は一体何の違約金だといっているのか。
房村裁判長よ。貴方は損害賠償責任を免れる為、法的サービス、示談交渉において違約金の合意と思っているのであろうが、そうではなく、むしろ違約・債務不履行にならない為に契約の事業の遂行をそして継続を可能にする為に支払われた金員なのである。だから、詳細は知らないが地主には(地主だけではないかも知れないが)領収書の要らない金が必要であろうというような発言を聞いたこともある。
.
であるから、上告人は本件を弁護士が或いは弁護士にしかできない示談折衝行為ではなく優れてビジネス行為だと論断したのである。再説すれば原審判決の事実認定によれば1000万円の違約金の約定で本件が片付いたと思っているようであるが、無知蒙昧の限りである。全く法律家と言うものはもっとも賢いと何でも出来ると思っているようであるが、本件のような問題解決の為の事業の遂行などは、あくまで当事者たるビジネスマンの行う責任ある行為であって、当事者本人の厳しい結果責任の損得の世界なのである。
そういう意味では法律家は(弁護士を含め)所詮本人ではなく代理人であり結果の損得に関係なく評論家として法的知識をサービスするに過ぎない。東弁・日弁連の本件関係委員および原審裁判所判事はこのことを理解していないかうすうす分った上である目的観点から原告(上告人)の主張を認めなかったものである。
次に「・・・そして、原告は、竹内から平成12年5月上旬ごろ、報酬として250万円を受領した。なお、この250万円は、公共建物らが第2売買について代理受領者である竹内に支払った代金の一部がこれに当てられた。」である。報酬として250万円を受領したと言うくだりは、事実認定としては上告人が長谷川よりの委任を受けた業務の報酬として受け取ったと言う意味に解される口吻である。しかし、それは違う。
まず
①に長谷川とは委任受任もなければ報酬についての話もなければ、もちろん額についても約束はない。これは紹介者の北村税理士との間においても全く話し合われなかった。そして北村税理士より,紹介の件については無報酬であり、長谷川との関係では実費4万円を受領したが(実際にはその何倍もかかっている)このことは既に原審において準備書面で主張したことである。
②このように上告人が長谷川から委任を受け業務を遂行した報酬と認定した根拠は一体何でありますか? ただ、長谷川がそのように言っているだけではありませんか?長谷川の人品骨柄については北村税理士の陳述書第5項のみならずマイナスの要素が多々認められる本件で、何の証拠もないではないか。
③このことは東弁の議決書においても、この250万円の趣旨については争いがあると認めている。それなのに、さりげなく(そうではなく本当はわざと牽強付会に挿入したものであろう)本件業務を上告人が長谷川より直接に本件業務の完成を受任し成し遂げた報酬として受領したと断じている。報酬という認定事実の表現として使うのはいいとしても、誰が誰からどういう趣旨で受け取ったものか明確にしなければならない。本件の場合、上告人は長谷川から実費4万円を除いて全く受領していない。
④竹内に支払った代金の一部がこれに充てられたと認定しているが、(東弁議決書は、この支払いの原資は公共建物からの代理受領金であると断じているが)これは一体どういう証拠に基づいているのか単なる推測なのか明白でない。上告人松本が山本から受け取るべき謝礼を竹内から受け取ったとしてもこのことは本件長谷川とは何の関係もない。上告人は長谷川から赤字の実費4万円以外にビタ一文受領していない。
東弁・日弁連・原判決のように長谷川から委任を受けて、その報酬として250万円を受けとったのだという根拠はないではないか。何を思惑して委任もしていないのに報酬の話も出ていないのに業務に関与していないのに、長谷川と全く無関係なのに上告人と山本との2人だけの関係において授々されたものが、どうして長谷川との関係で上告人に対して意味を持つといえるのか。意味を持つとするならばどういう法的性質なのか明らかにされなければならない。東弁・日弁連・原審と上告人はその審理過程に関与しているが、一体何を証拠に、このように認定できるのか。かえすがえすもご教示願いたいものだ。ただ、長谷川の想像に基づく記述の部分を根拠としているのか。もしそうだとしたら本当に原判決事実認定はお粗末、不十分、杜撰、貧困な想像力に基づく断定、およそ原判決を一貫して流れる上記品質の一吐露に過ぎないものと言うべきであろう。
(6)同上2(1)キ
「・・・三誠信託は、山本らとの間で金銭の授受に関する紛争が発生し、その解決が図られなかったことを契機として・・・」のくだりである。「契機として」とは、一体どう言うことであるか。この中にことの真相に対する答えが見出し得る。
原判決は簡単にこのように認定しているがこのような認定は実は、東弁・日弁連、原審裁判所の判断の誤りを証明するものであり、上告人の主張を裏付けるものなのである。原審の房村精一裁判長は、こう言われてもその意味がたぶん理解できないであろう。
それでは論を進めよう。まさに「契機」として長谷川は東弁に本件懲戒請求を薦められて申し立てたのである。それは、山本らとの金銭のトラブル紛争を契機として行われたことであるがその紛争は一体なんであったのか。
その紛争と上告人松本との関係はいかなるものであるのかが、問題である。原判決は金銭の授受に関する紛争と言っているが、どのような紛争なのか、公共建物からの金銭授受が問題だったのか、上告人の(全く関与していないのであるから詳細は知らないが)後に知ったところによれば、かなり多額の金員を長谷川が山本に貸したらしい。
長谷川は、上告人の紹介した後、上告人の知らないところで、山本に対し貸し付け或いは投資したものらしい。上告人は3月に4日間かけて紹介した後、長谷川・山本両人が上告人に全く接触してこなかった為、(北村税理士は陳述書によれば、北村税理士及び長谷川・山本の3名でよく会食していたらしい。)上告人は、長谷川・山本の間で3月以降ずっと何が起きているかについては、本件業務は勿論他の関係についても何が起きているのかについては全く知る由もなかった。
金銭の返済が受けられず、その取立て方法の一環として山本を紹介した上告人松本に対し責め立てれば、これが山本に対する債権回収の督促になるとの思惑から上告人に対し、文句を言ってきたのが始まりである。
そして、それはその年の冬から本件懲戒申し立てに至るまで2年くらいの間に3,4ヶ月から半年の間隔をあけてわめいてきた。上告人は長谷川に対し「あなたが私の知らないところで、自分で勝手にしんねこで金を貸して、その返済が遅れているからといって、私に文句を言ってくるのはお門違いだろう」と指摘したことがあった。
その後どうやら、東弁の弁護士で長谷川を指導しているものが懲戒請求の3年の時効を迎える直前の平成14年12月6日に本件懲戒の申し立てを誘導したものである。
つまり、「契機」というのは原判決の表現に従えば、金銭の授受に関する紛争が発生し、その解決が図られなかったことを契機としてで、あるが、紛争は2年前には発生しており、指導弁護士(何でも上告人に関係することであれば事件化する連中に誘導され)の誘導により、本件懲戒請求を申し立てることになったわけであるが、その間、前述したように山本に対する支払い請求の督促手段として、度々山本に対する貸金弁済を受ける為、上告人に対して散々嫌がらせをしたうえでの本件懲戒請求の申し立てであるから、その動機その証言の信用性が乏しかった為、東弁綱紀委員会での調査が止まってしまったのである。
それから、1年半余りも経ってから、綱紀委員会の徳住堅治委員長が、強引な綱紀委員会の議決書の作成に成功するまで、このような結果としては業務停止2年という最長期間の懲戒処分が出るような、もし本当にそれに相当する重大事件なら1年有半も調査が止まっているはずがないではないか。
このように信用のならない、自分の責任で貸した金の回収で借りた人間が困るようにという目的で、いわば1度は自分を破産の危機から救ったともいえる上告人に対し迷惑行為に及ぶなど、また特定グループの誘導とはいえ、懲戒請求の申し立てをする恩知らずともいうべき人間の根拠のない証拠に基づかない勝手な想像的言い分を根拠として、上告人を断罪している東弁、日弁連の、議決・裁決に加えて、原審判決も長谷川の虚言を頼りとして、このような誤った判決となっているのである。
今回の懲戒手続きにおいて、上告人の事情聴取において、高木主査が上告人に問うて、上告人は「長谷川さんは貸した金を返さない山本に大変迷惑している。このような人間を紹介した松本先生が悪いと文句を言ってきた」と答えたところ、高木主査は得たりとした顔で「そうでしょう。」と得心したように言っていた。上告人はこの問答で長谷川が何を問題にしているのかと言うことを高木主査が理解していると思ったのだが、そうではなかった。上告人は貸した金を返さなかった人物を金銭貸借に無関係に、紹介したということ事態が懲戒理由となるとは思っていなかったのである。
その後、山本が相談に来たとき、私はこのように言ったことがある。
『私が紹介した時点では本件が成功したとしても長谷川の利益配当はない。長谷川は金がないから事業遂行上、かかると思われる3千万円くらいの費用を一切負担できない。もし、万一お金を投入してそれでも失敗してしまえば負担は山本・竹内側に被むっていき、かけた費用を長谷川に後から請求することは出来ない。
その為に私が乙第1号証依頼書、第2号証委任状を書いてもらったのであるが、これは北村先生の依頼によって、金のない長谷川を紹介するのであるから、費用は出せないし、又失敗した場合、かかった費用が債務として残してはならないと言う趣旨、その後のトラブル防止の観点から作成させたものである。
儲けについては成功したら3千万円くらいと山本・竹内側は見繕っていたが、その場合長谷川に利益を還元するような約束はない。これは、北村先生も長谷川も納得していたことである。
私が4日間の紹介の後、貴方(山本)とも、長谷川とも、北村先生とも一切の接触がなかったので、その後の進展は全く分らないが、今現在、山本、長谷川間の貸借の書類を見せてもらうと公共建物からの代理受領のお金をどのように扱ったのか、私は知らなかったし、今も知らないし、その後、どのような貸付金が新たに私の知らないところで貸し付けられたのかは知らない。
でもね、山本さん。私が紹介し、貴方の紹介してくれた竹内さんと長谷川が委任関係になったことについて同席していた山本さんと北村先生及び勿論竹内、長谷川両名は私を含めた5人全員の了解事項は資金負担山本・竹内側、長谷川は負担ゼロ、失敗してもゼロ、儲けた場合は、長谷川は還元ゼロ(事業が成功しても1円も収受しない)全ての儲け、利益は山本・竹内側に属する。という話だったんですよね・・・。』と。
まさしく、この通りであり、これは肝心の北村税理士、長谷川のよく知るところであったのである。これについて疑問を持つ向きもあったようである。1例として東弁の懲戒委員会の主査高木弁護士が乙第1号証、2号証に関し、長谷川、山本・竹内間の報酬についての取り決めがありませんがという質問に現れている。上告人はこのように答えたのである。
長谷川は成功した場合の取り分がなかったのです。何故なら、そんな贅沢を言える状況ではなかったのである。8800万円の手付け倍返しの請求を受けたら北村税理士の話によれば破産するしかない。(房村誠一裁判長のいう損害賠償請求を免れる為の示談折衝ではなく、損害賠償の請求を受ければ破産即一件落着、法的処理について相談する余地のないものであったのである。)だから、請求を受けないいわば破産による1件落着とならないよう事業を継続遂行してこの困難から免れるべくそれを成し遂げてくれるスポンサー(援助者)を紹介してくれというのが本件の上告人松本に対する北村税理士のそして困窮者長谷川の依頼の趣旨だったのである。
その後は、山本・竹内と長谷川の間でそれなりに一体となってやったものであろう。ここをもって上告人松本は、本件から離れ、無関与となったのである。
それなのに、何をもって上告人松本は、長谷川の委任を受けてその受任業務として、それを果たす為に第3者の山本・竹内をして示談折衝行為をさせて弁護士活動を遂行させ、報酬を得たというのであろうか。
それを、原判決8頁の上から2行目「・・・自ら積極的に弁護士としての活動をすることだけではなく、弁護士でなければ出来ないことを第3 者に対して行わせることをも禁止する趣旨であると解するべきところ・・・」と言っているが、この行わせることとは当然上告人松本が行わせる、すなわち社長が社員を働かせると同じような意味において使っている語句の意味において換言すれば山本・竹内を自己(上告人)の管理において、或いは長谷川からの委任を受けてその受任行為としてなさしめたところの上告人のなした行為すなわち非弁的法律行為として理解するべきものであろう。しかしながら、これは二重に誤っている。
① に上告状添付の(別紙)に述べたとおり、弁護士にしか出来ない業務という間違いであり、
②に上に述べた山本・竹内をして、行わしめたという意味の不明瞭及び上告人の行為として行ったものか上告人の紹介を受けて独自に独立した経済主体として、山本・竹内が行ったものか混同する誤りと或いは故意に基づく誤用という間違いである。
いずれにしても紹介後上告人が本件の業務をしたという事実関係の主張及び証拠を挙げなければならない。客観的歴史的展開(他人によって行われた事実・行為)を勝手に上告人の行為或いは第三者をしてなさしめた行為と断ずるのは余りにもお粗末で滑稽で知的水準の低い子供騙しの論法である。
(7)同上2のク
「・・・三誠信託の申し立てについて調査を行い、平成16年10月15日、東弁懲戒戒委員会に対し原告(上告人)について、事案の審査を求めることを相当とするとの議決をした。・・・」とのくだりである。
このくだり自体は外形事実としてはその通りである。しかしながら、原判決の欠陥を如実に表しているくだりである。
すなわち、
①に、「前掲証拠」の○23乙54議決書(作成者東京弁護士会綱紀委員会) がこれに該当するわけであるが、上告人(原告)の平成18年8月18日付準備書面(4)3頁目の第2、結論と題する部分の4頁に亘る懇切丁寧な説明・主張についてなんら原審判決は触れていないことである。その主張の5頁目14行目(一応、弁護士だから判断力が小学生以下ということはないだろう)と書いてある部分が重要なのである。
このように準備書面(4)で表現したにことについては、もし、間違っていたら大変なことではないのか。ひとによってはひとを罵倒するような下品な表現と思う人もあるだろう。しかしながら、上告人(原告)としては重要な反対主張を展開しているのに無視され続ければ、ずばりと舌鋒鋭く述べなければならなかったのであり、まだ、これでもかなり抑制しているのである。
②にこの第54号証の議決書は本来、原審裁判で出てくるべきはずのない証拠だったのである。けだし、東京弁護士会懲戒委員会の議決書の証拠の標目にない証拠だったからである。
本来、上告人より、懲戒委員会の議決を根拠付ける証拠を示せと度々要求され(要求されなくても日弁連は速やかにこれこれの証拠によって議決したと言わなければならないのである。)最後に飛び出した証拠である。これは出し方云々を問題にしているのではなく、(有難いことに上告人松本に有利な証拠提出であるから)原審判決が無反省に「前掲証拠」として採用しているからである。
(重要な北村税理士の陳述書、山本良治の陳述書を「前掲証拠」として採用しないで、このような審判の対象である東京弁護士会の議決書の証拠の標目にもないものを、いわば、もぐり証拠を前掲証拠として採用しているのはおかしい。まるで有罪判決の根拠として、検察官の「起訴状」を証拠採用しているのと同じで、お笑い話にもならず、ただ悲しくて泣けてくる。)
日弁連も原審判決も上告人(原告)の主張に触れないのは論理的に無価値か反論できないかであろう。もし、無価値だと言うならば、やはり、その無価値性について、退ける理由を説示するべきである。
上告人の思料するところ、日弁連の代理人は東弁の懲戒委員会に主張、反論をどうするか相談したはずで、その際これを担当したのが当然議決書作成の責任者である委員長と主査が日弁連代理人にその内容を答えたものであろう。
その際、証拠を示せと再三要求されながら、これを示さず、示すことが出来ず、前述したとおり、通らないことを知っていながら、訴え却下の 門前払い判決を求め続けた。してみるとこのように考えるのが妥当であろう。すなわち委員長及び主査は苦し紛れに「でっち上げたのは自分だけじゃなく綱紀委員会の議決もこうなっている」と喚いているようである。
まるで、間違って有罪判決をした刑事裁判官がその誤りが明白となった時に「だって検事が起訴したんだもん」と言っているのと同じではないか。卑怯未練で恥ずかしい限りである。これと同じことが原審裁判所の房村精一裁判長、奥田隆文・谷口園恵裁判官のなしたことである。
(8)同上2のヶ
これについては、客観的外形事実であるのでコメントはない。
第2
1、 原判決8頁(2)についてである。
この点については上告状(別紙)1、2、で述べたのでこれを援用する。
第3
1、 原判決8頁ないし9頁の(3)についてである。
この点については上告状(別紙)3で述べたので援用するほか次のとおり付け加える。
(1)ここで驚くべき原判決の誤りを指摘しなければならない。すなわち原判決、下から1行目、同じく7行目の「純粋な経済活動」である。「原告(上告人)が、山本らが関与したのは純粋な経済活動であるから本件懲戒処分は根拠を有しないと主張するが、しかしながら山本らが行った活動は実質的には本件売買の不履行に伴い発生することが憂慮されていた三誠 信託の違約金支払い義務を免れさせる為の和解交渉であったというべきであり、山本らの純粋な経済活動とは到底解することが出来ず、云々」と説示している。
これは驚いた。これはびっくりした。房村精一裁判長は嘘つきだ。どこで上告人(原告)が「純粋な経済活動」と主張したか。いい加減なことを言うのもほどほどにして欲しい.
(2)上告人が主張したのは平成18年7月27日付準備書面(3)の3頁2、被告第3準備書面第2項についての(2)(3)で述べた開発業者がなす通常のビジネス行為である。本件の本質は弁護士のなすべき示談折衝行 為ではなく、リスキーで、土木工事を含む開発行為であって「優れてビ ジネス業務」であると懇切丁寧に説いているのである。
どこに「純粋な経済活動」というような言葉を使っているのか。だから、嘘つきだと言ったのである。
「純粋な経済活動」などと紛らわしい語句を用いて、いかにも紛争を解決する仕事であって、きれいな(?)「純粋な」などという紛らわしい語句を作出して論断するとは、的屋(失礼、言葉の例えですから)の口上でもこのような言い方はしない。大して分量もない判決書の理由なのだから、こうデタラメな論法を繰り返してはならない。
こうしてみると卑劣で理解力もなく馬鹿ではないかと疑われるような論述の連鎖を見ていると「あっー」と天を仰ぐしか、なすことがない。
以上